音楽記号フェルマータは「ほどよく伸ばす」という意味。つまり演奏する人の解釈で自由に伸ばせる記号なのです。何かと生きづらい現代社会ですが、私たちは「その人なりにほどよく」をモットーに「障がい者の街の暮らしを創る」事業を、大阪府高槻市で23年にわたり展開しています。
フェルマータの歩み
原理事長インタビュー③
NPO法人フェルマータは「障がい者の街の暮らしをつくる」をモットーに、大阪府高槻市で23年にわたり活動を展開しています。理事長の原 敏(はら・さとし)さんに「フェルマータの歩み」として、ご自身の精神医療との関わりや地域支援での紆余曲折をお伺いしました。今回は自死や支援での無念さ、そして次につなげていく心の在り方について率直にお話いただきました。
![理事長写真.png](https://static.wixstatic.com/media/aabb42_97491a600b364431aa111d32f4cbc1ee~mv2.png/v1/fill/w_163,h_244,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/%E7%90%86%E4%BA%8B%E9%95%B7%E5%86%99%E7%9C%9F.png)
NPO法人フェルマータ
理事長 原 敏
「待つ大切さ」と「ごくろうさま」当事者、家族、自死と向き合い命の関わりを次につなげる。
フェルマータだから実践ができた「地域での役割」とは?
―NPO法人フェルマータではどんな事業を展開されていますか?
独自事業はフェルマータ自立サポートセンターや喫茶店(サロンdeフェルマータ)の運営が大きな柱です。
医療・福祉制度では訪問看護ステーションエチュード、就労継続支援B型事業所なちゅらを展開しています。2024年からはフェルマータ自立サポートセンターの取り組みの一部を特定一般相談支援事業として活動を開始しました。これまでも若者自立塾、地域若者サポートステーションなど様々な取り組みを行ってきました。
―多岐にわたり事業立ち上げられていますね。どのような流れで事業が始まるのでしょうか?
利用者さんの地域生活での困り事に純粋に対応していたら事業になっていることが多いですね。地域でみなさんが一番困っている時にニーズに応えてきました。だから、その時点では法律や支援制度が未整備であることがほとんどです。それは、現実的に制度ではカバーできない部分を中心に関わって、挑戦して、開拓してきたということでもありますし、それこそがフェルマータの地域での役割だと自負しています。結果的に、それがモデル事業のようになったパターンもありますね。
―地域に根差して必要な支援を届けてこられたんですね。法律や社会制度の観点では、「障害者自立支援法(2005年)※」でこれまで精神障害・身体障害・知的障害に分かれていた障害施策が統一されたことは大きな変化だったのではないでしょうか。(※現在の障害者総合支援法)
そうですね。3障害が一元化されて地域支援の後押しがされました。ただ、身体障害や知的障害と比べると、精神障害はやはり遅れるというか、後回しになる現状があると感じています。
![夕日11.12月.jpg](https://static.wixstatic.com/media/aabb42_e8d9131c5eb041a3a98858fdd5db27da~mv2.jpg/v1/fill/w_178,h_237,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/%E5%A4%95%E6%97%A511_12%E6%9C%88.jpg)
「家族が精神障害を隠す」「いない人にする」精神障害の社会的支援が遅れる背景
―精神障害の社会的支援や措置が遅れる理由は何だと考えておられますか?
理由のひとつに、「親御さんやご家族が精神障害を隠す」があると思います。他の障害と比べると精神障害は見た目では分かりづらいので隠せてしまう。隠せるところまで隠し続けて、気が付いたら保護されて、事件になって…という場合もあります。自宅から遠く離れた精神病院に入院させる家族も多くありました。大阪北部なら泉南地域へ、京都南部なら北部の丹後地域へ…当然ながらこの逆もあります。近所の人たちに知られてしまうし、入院した本人が逃げ出して戻ってくることも回避したかったのでしょう。それほどに、精神障害への偏見が強く根付いていた実態と背景があることを30年以上前の臨床現場で感じていました。
―衝撃です。精神障害に対する偏見や理解の困難さが色濃く表れているようです。
何十年と隠し続けて、当事者本人も40代、50代と年を取る。親御さんも高齢になっていて経済力も体力も低下する。疲弊して行き詰ってしまって相談に来られるご家庭もあります。我が子や家族であっても「いない人」にしようとしている。障害の特性や病気そのものの影響も有り得るでしょうが、このような背景が精神障害の社会的支援が遅れてきた理由にあると思います。
―疲弊してしまったご家族には、どのようなかかわりをされるのでしょうか?
当事者であるご本人とお話ししていると、ほぼ必ず「親」の話題が出てきます。たとえどんなに親を恨んでいても一番切れない縁です。切りたくても切れないという葛藤がある。そして、最終的にその家族の中に第三者は入れないという構図もある。だけど、支援を進めるために家族とも関わる必要も出て来ます。
そこで私は、親御さんやご家族に「家族会」に来ていただくようにお話しています。この場でゆっくりと経過を語り、体験を共有することで肩の力が抜けて楽になる。応援し合える家族もいます。すると混乱の渦中でも希望が見えてきます。
![夕日2_11.12月.jpg](https://static.wixstatic.com/media/aabb42_366aab1df05c4336ab91754b3424906d~mv2.jpg/v1/fill/w_166,h_221,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/%E5%A4%95%E6%97%A5%EF%BC%92_11_12%E6%9C%88.jpg)
「ごくろうさま」自死で亡くなった方への思い。命のかかわりを次につなげて。
―かかわるなかで、自死で亡くなられた方はいらっしゃったのでしょうか?
はい。病状によるものもあったと思います。病院勤務で退院促進を行っていたときに深く反省したことがあります。直接かかわっていない方が、「退院の順番が次は自分に回ってくる」と、お思いになられて影響が出たということです。もちろん退院促進は強制ではなく、呼びかけを強く行っていたわけではなかったのですが、配慮の重要性を改めて重く受け止めました。
―重い事実を受け止めながら、それでも日々、支援を続けていくことは大変なことと感じます。
その人の人生に付き合うので避けられないこともあります。こちらは「元気になってほしい」「(虐げられたり、差別されない)普通に近づいた人生を自分で決定できるように」「少しでも役に立てたら」という思いがありますが、結局は第三者なので限界があります。無情だと捉えられてしまうかもしませんが、深く入り込みすぎると、このような対人支援を続けることは困難になるかもしれません。
―支援の無念さに直面したとき、どのように気持ちを持ち直されているのでしょうか?
自死で亡くなられた方には「ごくろうさま」という気持ちで送り出しています。そのように切り替えていかないと、引きずってしまって次に取り掛かれなくなる。そして、やれる時に出来る限りのことをして、自分が支援者であり続けるようにと思っています。
関わる人たちに「いい思い出」をいっぱい残してもらいたい。人生でいろいろなしんどい思いをしている人たちなので、特にそう思います。周りから虐げられる扱いを受けてきたので、いい思い出があまりないのです。人に対しても、猜疑心だらけで恐れている。だからこそ、いい関係を保ちながら日常にある小さな楽しみや思い出を作ってもらいたい。そして、私自身もそこに付き合えたらいいなという思いで関わっています。
![](https://static.wixstatic.com/media/aabb42_a7b29c6acaf34bb6bc95e32b3d10cd02~mv2.jpg/v1/fill/w_204,h_304,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/aabb42_a7b29c6acaf34bb6bc95e32b3d10cd02~mv2.jpg)
「原さん、もう堪忍して。頑張られへん。」利用者の思いと自分の熱意の“ずれ”に直面して。
―退院後、地域で暮らし始めた利用者さんの“声”を教えてください
退院すると現実的に生活をしないといけなくなるので、当然いろいろなしんどい思いもされます。その中での彼・彼女らの「ありがとう」の言葉は、そのままの純粋な気持ちだと受け止めています。ただ、それを言葉にする人、しない人、できない人…いろいろです。障害や症状の影響で感情鈍麻(※感情を表すことが乏しい状態)になっていて、気持ちを表現できなくなっている場合もあります。でも、みなさんの行動を見ていると、「退院させてくれてありがとう」と心にあるように感じます。
―「ありがとう」の気持ちは、どのような行動に表れるのでしょうか?
身なりが整ってきれいになる、活動範囲が広がるなど、さまざまです。自分で行動できることが、見るからに増えてくる。フェルマータでの関わりが、新しい機会や場所の提供と寄り添いになっていることも大きいのではないかと捉えています。
―言葉はなくとも心は行動に表れているのですね!でも、お礼の言葉をつい期待してしまいそうです…。
「普通なら『ありがとう』って言ってもらえるはずなのに」と、利用者の振る舞いが期待通りでないことにショックを受ける支援者もいます。けれど、「返事を求めたらあかん」と私は支援者によく伝えています。私も若いときは、張り合いのなさや寂しさを感じて、相手に返事を求めていました。でも、期待どおりにはならない。それが「障害特性」なんです。だからこそ、言葉だけに囚われないで、行動を一緒に見ることが大切です。
―利用者と支援者の間で、意見がすれ違うことはないのでしょうか?
もちろんあります。若い時は、利用者さんに対して「〇〇したらもっと良くなる」など、アドバイスをたくさんしました。すると、ある利用者さんから「原さん、もう堪忍して。僕、頑張れ頑張れって言われてるみたいで、それしんどいんや。」と言われて目が覚めました。こちらの要求が大きくなって、一方通行のコミュニケーションになっていたと落胆しました。「乗り越えられる」「もう少し踏ん張れば良くなる」という励ましが、本人には負担だった。「やっぱりもう無理だ」という本人の自己評価も、それもひとつの本音だと腑に落ちた瞬間でした。
「待つ」も含めて“その人なりにほどよく生きる”
30代のころ、当時のスーパーバイザーに「原さんは“待つ”をテーマにしなさい。焦り過ぎているから、待つことを学ばないとね。」と打診されました。自分自身では、勢いや自負もあって焦り過ぎている自覚は無かった。けれども、信頼する人の助言に「あぁ、そうか。」と納得しました。「待つ」も含めて「その人なりにほどよく生きる」ですね。
原理事長インタビュー④に続きます
取材日:2024年9月19日
ライター:大野佳子