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​フェルマータの歩み
原理事長インタビュー②

NPO法人フェルマータは「障がい者の街の暮らしをつくる」をモットーに、大阪府高槻市で23年にわたり活動を展開しています。理事長の原 敏(はら・さとし)さんに「フェルマータの歩み」として、ご自身の精神医療との関わりや地域支援での紆余曲折をお伺いしました。今回は精神病院の退院からNPO創立までのお話です。

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NPO法人フェルマータ
​ 理事長 原 敏

「その人なりにほどよく生きる」地域の居場所づくりからNPO法人創立へ大きな前進

反対意見を乗り越えて、100人以上を退院へ。病院と地域を東奔西走の日々。

 

―退院の意思をお聞きした後は、どのように進めていくのでしょうか?

 

本人の希望や迷いをまずお聞きします。「どんなことなら目標にできそう?」「私が応援できるのはここまでかな」と私(医療者側)の意見も率直に返事します。医療者が勝手にやり方を決めるのではなく、本人の意思を尊重しながら一緒に看護計画を作っていく。当時から自然に行っていましたね。

他には、患者さんは主治医の前と私の前とでは態度や振る舞いが変わります。大人しくしたり、良い格好をしたり。「これを言ったら薬を増やされてしまう。」など、患者さんの背景には、当然いろいろな思いがありますから。そんな患者さんと医師の間に入って調整する役目も私はしていました。

―退院する人が増えてきて、病院内はどんな雰囲気でしたか?反対の声も多そうですが…。

 

そのとおりです。周りの医療者から「荒っぽい。まだ早い。事故になる。」と、たくさん言われました。ですが、患者さんの積み上げてきたペースやタイミングがあります。病棟内で退院に向けた勢いが出てくると「私も退院したい」という声があがり始めます。退院戦略と言うと大げさかもしれませんが、「まずは重症な人から退院につなげた」という経緯があります。

―重症な人から退院を促したんですか。なぜ、軽症な人からではないのでしょうか?

 

実は入院患者同士のコミュニティで上下関係が生まれていて、「あんなにも重症な人でも退院できたのに、自分が退院できないのはおかしい」という思いがそれぞれに湧いてきます。そのような集団での心の連鎖反応も見越した上で退院のアプローチをしていました。

そうすると、“退院できる”と噂が広がって「原さん、私も退院したいです。」と担当ではない患者さんからも声がかかり始めました。退院に向けた流れが病院内で出来てきて、私自身も退院促進の役目を担うことが自然と定着していきました。

 

―人間関係の影響力ってすごいですね。とても想像が及びませんでした。

振り返って、自分でよく頑張ったと思うのが“3年間で100人以上退院させたこと”です。「退院はもう無理だ」と医者も匙を投げるような患者さんも含めてです。退院が重なる時は1か月に10人を超えていました。毎日、忙しく走り回っていましたね。

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「住む家が見つからない」「再入院の患者さんが相次ぐ」地域移行での苦戦

 

―「退院促進」を進める中で、大変だったことを教えてください

 

住宅物件探しが一番大変でした。生活保護申請なども煩雑な作業ではありますが、必要な書類が整えば行政に対応してもらえます。だけど、住宅物件は一筋縄ではいきませんでした。地域の人たちが一線を引いていて、拒否を示すのです。“連帯保証人がいればとりあえず取り合ってくれる”というのは、まだましな方でした。でも、一人ひとりに都合よく“連帯保証人になってくれる人”がいるわけじゃない。大変苦戦しました。それでも、退院に向けた活動を続けたからこそ、「力になれる」と賛同してくれた仲間にもたくさん出会えた。そのつながりや応援に支えられて、地域での暮らしを実現できました。

 

―辛い出来事ですね。拒否された地域にどうやって溶け込んだのでしょうか?

 

仲間たちの協力と住宅物件探しを粘り強く続けて、10件中1件ぐらいの割合で成約につながりました。地域での新しい暮らしをスタートする一方で、病状や特性による当事者の振る舞いがイメージダウンに思われることを懸念しました。偏見がさらに強まる可能性もあったからです。

だからこそ、私たちがきちんと説明と理解を示すことが大事になってくる。地域の人たちに理解してもらうには「障害を持っていても、こういう関り方をすれば付き合っていけます」「怖い人もいるかもしれないけれど、世間ではもっと怖い人もいる」「差別をされると困ります。でも、悪いところがあったら怒ってください」と、率直に言いながら地域と当事者との関係づくりを続けました。結局のところは、お互いに実際に関わってみないとわからないことがたくさんあるのだと思いますしね。

  

―地域で暮らし始めた患者さんの暮らしについて聞かせてください。

 

入院中は病人の顔をしていますが、地域に出たらシャキッとします。環境を変えるだけで、それだけの変化が起こります。その次に現実への対応力が必要になってくる。日々を重ねて経験を身に付けていくには、その人のペースや病気の重さが当然ながら関係します。

一方で、私のもとに地域で暮らし始めた人たちから「寂しい。辛い。どうしたらいいのか分からない」とSOSが相次ぎました。精神科訪問看護やデイケアという形で地域生活を支援していましたが、当事者たちの精神状態は不安定で困惑していました。

 

―生活環境が変わると大きなストレスがかかりますよね。それで患者さんたちはどうされたのでしょうか?

 

退院したけれど病院の往復だけ。病院の送迎バスにしか乗れない。地域での行き場が無く結局は元の病院で日々を過ごす。これが実際の暮らしぶりです。病院から放り出されるように退院し、上手く地域になじめなかった当事者たちの抱えた負荷は、病状の悪化や再入院へ至りました。この事実を目の前に、「これで良いのか。何を目指しているのか。誰のためになっているのか。」と、葛藤が募りました。

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地域での“居場所”が必要。「その人なりにほどよく生きる」をモットーに「障害者の街を創る会」が発足

 

自問自答と当事者を含む仲間たちとの話し合いの末、「居場所」が重要だと結論づけました。地域生活へゆるやかに移行していくために“安心、避難、相談、情報交換、食事、仲間、自立、回復”を分かち合いながら“気楽に集まれる場所”が必要でした。

地域での「居場所づくり」を実現するために、先行して活動団体「障害者の街を作る会」を2001年11月に発足させました。これが後の「NPO法人フェルマータ」へと発展します。続いて喫茶サロン「サロンdeフェルマータ富田店」(大阪府高槻市富田町)をオープンしました。当事者と私たちの必要性と目標がついに実現した瞬間です。

 

―フェルマータはここで生まれたのですね。「フェルマータ」の名前に込めた意味を教えてください

 

音楽記号フェルマータには「ほどよく伸ばす」という意味があります。つまり、演奏する側の解釈で自由に伸ばすことができます。「その人なりにほどよく生きる」ことができるように「フェルマータ」を用いました。仲間たちと話し合って出した、私たちが一番大切にしている思いです。

 

―喫茶サロン「サロンdeフェルマータ富田店」の雰囲気はどんな様子でしたか?

 

オープンした頃のお客さんは、私の勤務先(※この当時は社会復帰施設)の利用者や退院促進によって周辺に住み始めた人たちがほとんどでした。生気が無く無表情だった人も、来店すると元気のある表情へと活気を取り戻しました。利用者同士のつながりも出来はじめます。会話には、新しくて生活に密着した情報がだんだんと増えました。例えば、「○○スーパーが安い」「□□病院の先生はやさしい」という話題ですね。

 

―“地域密着の情報通”という人も現われていそうですね。楽しそうです。

 

約20年前の当時は、今みたいにインターネットも無くて、みんな、どうしたら良いのかわからず心細くて不安だった。それもあって、毎日とてもにぎわっていました。口コミが広がって、他の障害者団体や当事者、家族、支援スタッフなども来店するようになりました。お互いに刺激を受けながら、店全体の雰囲気も盛り上がり希望に満ちていました。

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居場所も、仕事も兼ねた場所「NPO法人フェルマータ」の創立へ。

地域での基盤づくりに大きな前進。

 

―NPO法人の創立に至った経緯を教えてください。

 

喫茶店の仕事をメンバー(※フェルマータに関わる当事者の呼び名)たちにも担ってもらっていたので、食事やドリンクなどの現物支給で還元していました。そこで、保健所職員の方から「精神障害者社会生活適応訓練事業」を勧めていただきました。制度に準ずる就労訓練をすれば補助金申請ができるというものです。メンバーに提案するとみんな喜んで希望しました。私に金銭面のことを言いにくかったのだろうとも思います。これがきっかけとなって、独自で行っていた喫茶業務は国の制度を適用した就労訓練になりました。

 

―喫茶店が「居場所」と「仕事」の両方を兼ね備えるようになったのですね

 

仕事として意識して取り組んでもらえるように、作業への指導や環境を整えていきました。今までになく厳しい現実に休みがちになる人もいましたが、給料日になるとうれしそうな姿が印象的で誇らしげでもありましたね。

しかし、制度と喫茶店の特性上、希望者全員に就労訓練を受けてもらうことができませんでした。問題解決の糸口として事業規模の拡大を検討しました。さらにNPO法(特定非営利活動促進法)の成立も後押しして、医療・福祉・精神障害に特化せず、身近で地域にある団体として、「市民活動団体 障害者の街を創る会」から「特定非営利活動法人フェルマータ」へ、2002年10月、正式に認可されました。法人の理念はもちろん、「その人なりにほどよく生きる」ですよ。

取材日:2024年9月19日

​ライター:大野佳子

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